☆オナ禁原理主義☆

My FORWARD to ENTWURF with ONAKIN ; ぼく(社会不適合者)がオナ禁で生きるブログ

クロイツェル・ソナタ

子供はいいですよ。
子供の顔、存在を見るだけで、すべて明らかになる。

結婚して子供を作ったら、悩みなんか吹き飛びました。悩んでる暇なんかないです。
人生に悩むのなんてのは半人前の子供のすることですから、
皆さんも早く結婚して子供を作ったほうがいいですよ。

もし↑こんな風に思ってる人がいれば「このクソ野郎」と私は思います。
これは人生の問題を子供に預けてるだけで、
家族のために稼げばいいと思う事で存在の行動原理がシンプルになり、動きやすくなるというだけの現象。

とりあえず一般的な現象として、若者(独身者)は経済観念に乏しいようです。
既婚者は経済観念に厳しい。
もう自分一人ではないので、家族の家系や未来や、子育てに必要なお金がたくさん必要になるから当然。
会社が既婚者を大切にするのは、人道的な観点からだけじゃなくて、金に執着する視点が強い=ビジネス的だからですね。
にじ魂の箱男さんが社会は「女性本位制」だと書いてました。
女体本位制が恋愛資本主義を支えている
「女性本位制」という表現はすごくいいな、と思います。金本位制とかではなくて、女性本位制。
すべての蜜は、女に流れるように出来てる。

トルストイのクロイツェル・ソナタを読み返しました。
18くらいに読んだはずなんだけど内容をちゃんと理解できてなかったようで、
昨日改めて読み直して感慨深かった。

この本の概要は、純粋な愛は現実の恋愛や結婚では満ちないという事です。(要約しすぎ)

理想的には、子供を持つ人は、禁欲的精神がなければいけないものでした。 
女が妊娠してる間は、女は性的なものを受け付けず、セックスできないためです。
でなければ、女が懐胎者・授乳者であると同時に情人でなければいけないです。
(これをトルストイは「いかなる動物も堕したことのない存在」と呼びます
 ;一年中発情してる動物なんて人間くらいのもんです)

シンプルな解決策はこれです。
・女は、ビッチな産む機械である代わりに蜜を受け取ればいい(愛を信じて)
・男は、外を駆けずりまわって女に蜜を運ぶ奴隷であればいい(性欲を愛と言い換えて)

→上記でないためにはどうすればいい?
→あるいはこれをどうすれば「これが人間だよ」とか言って得意がれる?

家の存続という上位の価値観があるならば、上記は男にとって回避されます。
でも今は「家」の価値観なんて死にかけなのでダメ。
だから現在は、ビッチな生む機械でないために女性の権利を主張して、
さらに男を性欲で釣って奴隷にできる女の勝ち状態でしょうか。
「草食男子」とかいっても、本当に性欲を捨ててる男は少ないと思います。

学生時代にバイトしてたとき、ギャルっぽい女子が「はやく結婚したいなー」とか言っていました。
彼女は死ぬほど正しいですよね。
外見からしてビッチであることを受け入れてましたし、ぽんぽこ糞ガキを生む機械になってる事でしょう。
楽しそうでした。

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トルストイのクロイツェル・ソナタは、ベートーベンのクロイツェル・ソナタが下敷きになっています。

私としては、ベートーベンよりヤナーチェクのクロイツェル・ソナタのほうが好き。
このヤナーチェクの曲↓は、トルストイのクロイツェル・ソナタへの返歌として書かれたものです。

ベートーベンのはロマン主義な面が強いけど、ヤナーチェクのほうが原理主義的で現実的で、烈しい感じ。
なんていうか、ベートーベンのほう愛撫っぽい。ヤナーチェクのは、針を刺しているようだ。

私はヤナーチェクに同感します。

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個人的に暫定:
私は女や結婚や子供でない、生きるに値する価値を求めてる。
文学とか思想とか、真実や理想に類するもの。
これは現実を生きる力を私に与えるか疑問ではある。しかもこれは金を与えてくれない。
だけど求めるしかないようだ。
現実のなかにそれは存在しないし、私も現実世界の私を無視している。
どんなに私に知能と能力がなくても、私は信じてる。これは信仰ですね。
私はこの信仰を生きるための方法を、ヴァレリーの「テスト氏」のなかに見ました。
「テスト氏」が私のキリストになりましたです。


このNew Helsinki QuartetのCD↑、ヤナーチェクのクロイツェル・ソナタが入ってますが、マジおすすめです。ものすごいです。

エロ画像

Zdzislaw Beksinski


Georgia O'Keeffe


萩尾望都 マージナル

あらすじ:
遺伝子に作用するウイルスのため、女が発生しなくった「男だけの世界」地球を舞台にしたSFマンガ。ウイルスは地球のみに存在し、地球外コロニーには女が普通に存在している。
地球上にはいくつかのドームが建設され、その「センター」に住む科学者たちがドームの中で人間を遺伝子工学で生産している。
しかしドーム周辺に住む人間らは、人間が遺伝子工学で生産されている事を知らない。子供は、子供を作れる世界でたった一人の女「マザ」から授けられるものと思っている。地球で生産された人間らは独自の男だけの社会システムを生きる。古代ギリシアのように、パイデラスティアの文化を持つ。
若い時期、生産された人間たちは色が白く女性ホルモン比率が高くなるため美しい。そして財産も持たないのでこの時期の人間たちは「色子」となり、「念者」と呼ばれるパトロンの庇護を受ける。男性ホルモン比率が高まり成熟すると、男として振る舞って彼もまた「色子」を買おうとするようになる。
このようなシステムをとらせる事もまた、社会学・文化人類学から得られた「センター」のシステム運営法の一部なのだ。
そんな地球に、火星から生物学者がひそかに密入していた。このウイルスから地球を救おうと、子供を作れる人間を作ろうとし(この時、子供を作れる人間とは、単純に「女(メス)」を意味しない)、法律で禁じれた遺伝因子を組み込んだ人間を製造した…

感想:
長編なので紋切るようなテーマを挙げる事はできないが、やはり萩尾望都だ、というのが感想だ。
タイトル通り「マージナル」を扱ったものとなっている。これは3つの意味がある。
1:作品内で、地球は社会的に致命的なウイルスがあるのでマージナル(辺境・荒野)と呼ばれる
2:この地球で生産された人間たちの持つ社会と、地球外生まれのセンターの人間との関わりマージナルである。
マージナル・マン(社会学)
周辺人,境界人と訳される。二つ以上の異質な社会や集団に同時に属し,両方の影響を受けながらも,そのどちらにも完全には帰属していない人間のこと。不安定で動揺しやすい行動様式を示す。

3:性的にマージナル。これこそ萩尾望都!

女になる前の少女は、男と女の違いに関心を持ってそれを学ぶ一方、男は無自覚に男性ホルモンに突き動かされてただけなのでその点について問題意識すら持てなかったものだと思う。
オナ禁をして「男」性を自明としないようになったら、萩尾望都は断然面白い。

この作品はユング心理学の敷衍であって、シオドア・スタージョンの「人間以上」の反復だろうと思う。
しかし少女マンガだ。人間関係や「共感性」というテーマが加わることで、この巨大な物語の見事な構造性といったら凄い。
「誰かの想いを満たすこと」は、欲望される女が発達させる機能だが、マージナルではこれをユング心理学の集合的無意識の概念とリンクさせて構築した事が面白い。

結び:(強引にオナ禁と結びつける)
オナ禁をして、性欲のために無自覚に濁らさせた目を澄ませば、
本当は男とか女とかが一体何なのかについての視野が広がると思います。




オナ禁者の斧

ユースバルジという言葉があります。
グナル・ハインゾーンが提唱した概念で、要するに若者世代が多い状態のことを言います。その状況下では、職の需要率が職の供給率を上回り、職に就けない若者が発生します。そして彼らは職を求めて国外へと進出していく。人口学的には戦争やテロはこのような仕組みで生じます。例えば近代化以降の西欧の世界征服も、ユースバルジであると理解できます。日本においても、戦後の安保闘争や経済成長はベビーブーム世代の人口学的力学によって発生したと理解できます。

ところで今日、1964年の邦画「ジャコ萬と鉄」を見ました。

【ネタバレを含みます】
最後のシーンが印象的でした。高倉健の演じる鉄は、親から漁場を相続する事を放棄します。気に入っていた農家の娘もいたのですが、その娘は機械化農業を進める男と結婚してしまったので、鉄は娘を諦めます。
そして鉄は、船乗りにならんと一人で出ていってしまうのです。
それまで時代物の西部劇のように古風な荒涼としたものしか映っていなかったのですが、近代的な港が登場し、鉄はそこに向かっていくのです。

この映画を見ると、高度成長期時代、都市にやってきた相続財産を持たない労働者たちが、新たな時代を求めていたというダイナミックな物語性を背後に感じます。
(上のyoutubeの動画はこのあたりの事は映ってません)

この映画は、過去を清算して新たな道を歩もう!という主題のように思えます。あるいは戦前・戦中の記憶を捨てたいという当時の思いもあるかもしれません。
現代に生きる私は、その背後関係を上述のユースバルジの観点から捉えたいです。

私は特定派遣社員です。未来の雇用は事実上保障されていないという個人的事情があります。この事情がちょっと関係してるかもしれませんが、つまり
「俺には相続財産なんかねえ!新しい仕事を見つけにゃならんのよ!」
と言ってしまうと端的だと思います。

なんとなーく、若者世代は保守化しています。
ちょっと前から自虐史観はやめて戦前を評価しようとかいう流れがありますが、これもまた人口学的に理解すれば、ユースバルジ状態がもはや日本にないがためです。過去を捨てるよりも過去の遺産で生きていく方向性に状況がシフトしてるため。こうしたネットウヨには親の財産を食いつぶしているニートが多いというのは分かりやすいです。
また、ニート的な人でなく、ゆとり世代も保守的です。ちゃんと就活して、いい子で、方向性は堅実ですが、その堅実の内実は過去の遺産を活用する方向性だと私には思えます。
これから人口爆発状態の東南アジア・中東の人間たちが、日本に流入してくるなかで戦えますでしょうか。

一気に話を過剰に飛躍させます。
オナ禁者の個人は戦えます。
性欲を満たさずそのぶん余分なエネルギーのあるオナ禁者は、ユースバルジな人間たちのように飢えているからです(心理的に)。オナ禁者は日々が欲との戦いです。自分の欲の流れを制御して、活路を絞って噴射しようとし続けているからです。オナ禁者の心の流れは、欲が満たされる事=安定を拒否し、破壊的なまでにストイックなプロテスタント(抗議者)となります。


破天-インド仏教界の頂点に立つ日本人-

破天-インド仏教界の頂点に立つ日本人- 山崎素男、光文社新書

佐々井秀嶺という日本人僧がインドにいる。
インド名はアーリヤ・ナーガールジュナ。(故ラジヴ・ガンディー首相がインド市民権授与の際命名)
彼はインドにおける仏教復興運動のリーダーであり、そしてヒンディー文化に根付くカースト制の改革を推し進める不可触賤民仏教徒の解放者である。その活動の意義は大きく、仏教徒のみならずインドにその名を知られる人物である。
その彼の生い立ちから現在までの活動を記した本。

荒法師、トリックスター、そんな名がよく似合う豪放な人物である。
「なせばなる。なさぬは己のなさぬなりけり」
その言葉のように、彼は思想を実行に移す行動力がある。
そんな佐々井の活動を読んでいるだけでも、自分にも勇気が湧いてくる。克己、思想を現実に生きる事への力が湧いてくる。

そんな彼の行動原理の一は、「性欲」だった。色情因縁の業の深さに悩んだ故だった。
「我を滅ぼすものは我なり。我とは誰ぞ。我とは何者。我とは性なり。性即ち我なり。性は根本なり。性あるが故に我あり。性は世界なり、性は理知、静、動なり。性これ天然の性なり、天地の動きこの性によるなり。我が求道、道程、我が出家、形成、運命みなこの性によれり。ゆえにわれを立てるも我を破るも、我が我に勝つも、我を滅ぼすもみなこの性によるなり。性なくんば、我に悲しみ、罪、懺悔、号泣もなく、性なくんば我に絶望も無し。性なくんば我に求道、宗教、反省もなく、我に神仏もまた無し。性を破り性に勝利し、性を克服するならば、我は解脱し平静とならん。(~略)
 汝の出家は世俗の坊主と異なり、一生妻帯せず、一生女体を抱かぬこと、これ色情因縁を法道によりて断ち切り、一家一族、先祖代々の色情不幸因縁よろ解脱救済せんとする請願を立て、故に汝は出家せし~」